プロフィール

この度は私のブログを観覧していただき、ありがとうございます。私は、2018年7月にパワハラに耐え切れずに会社を辞めました。

このページでは、私の自己紹介などを紹介します。

 

プロフィール

  • 住まい:長崎県諫早市
  • 誕生日:昭和62年10月21日
  • 年齢:31歳
  • 職業:webライター(フリーランス)

家族

  • 中学1年生
  • 小学3年生
  • 小学2年生
  • 保育園児2人
  • hiroyuki

 

フリーランスになる前の生い立ち

 

私が小学生の頃、両親は離婚をして、私を含めた兄弟3人と父の4人家族で生活をしていました。

兄弟の中で一番、気が弱かった私を、父が半ば強引にボクシングジムに通うわせるようになり、頑張ったおかげで、中学・高校とボクシングの特待生として、私立の学校に入学できました。将来はプロボクサーを夢見て部活動に励んでいましたが、父が体調を崩してしまい家計を助けるべく仕事をする為に高校1年で中退しました。

ですが、16歳の子供が就職できるような仕事は中々なく、やっとの思いで見つけたのが、パワハラが理由で辞めた前職の家屋解体業でした。個人が行っている会社だったので、とても小さい会社でしたが、何も出来ない私に日当6000円からのスタートだったので、私1人の稼ぎで月に15万円程にはなり、家計の足しにはなっていたようです。

兄弟も新聞配達などを行い、皆の稼ぎを合わせると月に22万円程度にはなっていたので、長崎県で家族4人の場合は、贅沢しなければなんとか生活はできていました。

 

受けたパワハラの内容

 

今思えば、家屋解体業を辞めて他人の話を聞くと、入社した当初からパワハラという行為を受けていたと実感しました。

大体の内容ですが

  • 「お前は障害者だ」、「生きている意味がない人間だ」などの暴言
  • スパナやモンキーなど工具で頭を叩く(ヘルメットの上から)などの暴力
  • 家族が入院した時、「お前が行ったら病気は治るのか?」、「休んだら給料を最低賃金まで下げる」など休日出勤の強制
  • 1時間程度の残業代はなし

他にも細かい部分を挙げれば、沢山ありますが大体このような感じです。

務め始めた時は、16歳という子供だったので、社長の暴言や暴力に対して、感情的になりそうな事もありましたが、とにかく「この会社を辞めたらご飯が食べられない」という思いだけで、勤めていました。

また、年配の現場監督などからも「昔は、あんな感じで怒られて仕事を覚えたんだよ」と言われて、何も知らない私は「とにかく我慢して仕事を覚える事が大切なんだ」という風に簡単に洗脳されて、17歳~30歳まで耐えていました。

更に18歳で「できちゃった結婚」したので、仕事を辞められない状況に拍車がかかっていたので、毎日家に帰ることだけを楽しみにして仕事を行なっていました

ちなみにですが、仕事は社長から1つも教えて貰った事はありませんでした…。常用として応援に行った別の解体業者の方から、ノウハウを教えてもらい人並みには仕事はできるようになったと思います。

 

辞める事ができたキッカケ

 

パワハラ自体は退職するまで、ずっとつづいていたのですが「もう辞めます」と勢いだけで伝えたのには、キッカケがあります。退職当日は、とても暑い日で更に養生足場のせいで風がまったくない現場での解体作業でした。

私と20代の子、社長との3人で、作業を行っており昼休みが終わった最初の作業で、「鉄骨にワイヤーを通す穴を開けろ」と社長から言われ早速準備に。

社長の性格上かなり細かい人だったので、穴を開ける場所を間違えると大変なので、「本当に指定の場所で間違いないか」確認をして、スプレーで目印をしてもう一度最終確認を取りました。社長からは「大丈夫」と言われたので、目印をつけた場所にガス切断機を使い穴を開け、社長に完了報告後、違う作業を行っていました。

すると、いきなり後ろから背中に衝撃が走り、私は倒れて何が起きたかわからない状況でした。後ろを振り向くと社長が立っていて、倒れた私をコンクリートの上で引きずって「開けた穴の場所が上過ぎる」と殴りながら、叫び続けていました。

3発ほど殴られた私は、何かが爆発して「だったらお前が切れよ。私は確認を2回した」と言ってしまいました。最初はビックリした顔をしていた社長でしたが、反抗された事に腹を立てたのか首を絞めてきて、しばらく取っ組み合いになりました。

さすがに苦しくなり、このままだとヤバイと思ったので、社長のお腹を殴ったら効いてくれたのか、うずくまり手を離してくれました。「もうお前のところは今日で辞めてやる。いない方が良いでしょ?」と一言だけ伝え現場を後にしました。

 

転職ではなくフリーランスになった理由

 

会社を辞めた翌日から、求人サイトでの応募電話で直接応募希望を伝えるなど、とにかく次の仕事を見つけようと必死でした。

妻が「プログラミング関係が好きなら、そっちの仕事は?」と言ってくれたので、思い切ってIT業界にと思い、Webエンジニアやhtmlコーダー関係の求人を中心に探していました。

ですが、小さい個人会社での勤務経験では、「社会人経験なし」と同じらしく、

  • 中卒
  • プログラミングの製作物は3つほどあり
  • 社会人経験なし
  • ビジネスマナーなし
  • 30歳

長崎県で未経験を募集している会社はほとんどなく、私の経歴では雇用は難しいとのことでした。

ですが、長崎県の解体業では、すぐ話は広まるみたいで辞めた翌日から別の解体業者さんから「うちで働いて欲しい」とお誘いの電話がありましたが、別の解体業者に入っても、パワハラ社長と顔を合わせる事になるので、ありがたいお話でしたが、お誘いの電話は事情を話し断ってる事に。

また、自分の経歴を後悔する時間はないので、求人を探しながら、以前少しだけ経験がある在宅ワークで、生活費を少しだけ稼ごうと思いクラウドソーシングサイトで、ライティング案件を転職活動の合間に行い、月に6万円~10万円ほどは在宅ワークで稼ぎ、貯金と在宅ワークの収入でなんとか食いつなげていました。

ここで、また妻から転職活動が難しいなら「在宅ワークでもしっかりとやれば、まとまったお金になるんじゃない?家にいてくれれば子供達も喜ぶから」と言ってくれたので、転職活動を辞めて在宅ワークでライティングを本格的に行うように。

2ヶ月程は10万円ちょっとだったので、生活はかなりきつかったですが、少しずつ収入は増えて、2019年に入った段階で毎月、18~19万円ほどの収入は得ていたので、解体業の時とほとんどかわらない給料を得る事が出来るようになりました。

少しづつ収入も増えてきたので、2018年9月に個人事業主として開業届を提出しフリーランスとしてWebライター活動を始める事にしました。

 

今後の活動予定

Webライターだけの活動だと少し寂しいので、独学ですが、せっかく覚えたプログラミングやhtmlの技術も使いながらライティングを行おうと思っています

このサイトを作成したのも、htmlやPHPなどの知識でサイトを作成して、自分が経験した事やwebライターとしての知識を発信できると思ったからです。

今後は、プログラミングの技術をより深く理解するためにも、PCゲームの「マインクラフト」というゲームで、サーバー構築・運営やMOD(拡張システム)の開発を行っていこうと思っています。

また、サーバ運営に伴う紹介サイトの作成や、その他のサイトを2つほど作成する予定です。